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1698件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

昭和四十四年の平賀書簡事件におきましては、当時の中村梅吉裁判官訴追委員長名前で不訴追の理由が詳細に文書で公表されておりますし、少数意見だった方の意見も付されております。その際、記者会見も行われました。  私は、このホームページの説明は、先例にも、また本来の立法趣旨にも反すると思いますので、直ちに書き直していただきたいと思います。  

津村啓介

2011-02-25 第177回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

そこに肖像画がある中村梅吉先生も、衆議院議長の後、法務大臣になられたわけですが、参議院では江田先生が初めての例になります。  これは並々ならぬ御決意で入閣されたんだと思いますが、一方、参議院の権威また三権分立の原則からいって好ましくないのではないかというような批判も一部にあります。

中島政希

2005-06-08 第162回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

片山哲さん、吉田茂さん、中村梅吉さん、植木庚子郎さん、田中伊三次さん、小林武治さん、前尾繁三郎さん、倉石忠雄さん、奥野誠亮さん、坂田道太さん、秦野章さん、最近では梶山静六さん、後藤田正晴さん等々のすばらしい重鎮の皆さんのメンバーがここには歴代法務大臣として並んでいる。  それから、本会議を開いたとき、大体、内閣総理大臣の隣には歴代法務、外務、大蔵、農林とずっと座ってきたんですよ。

牧野聖修

2000-10-12 第150回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第5号

当時の衆議院議長中村梅吉、参議院議長河野謙三、両名ともこれは自民党員なんですね。このお二方が、このままの状態では法案が提案されたら今と同じように野党の姿は一人も見えない、そういう形で選挙法の改正が進んでいく、こんなことは許容されない、院の議長として何とかしなければいけないということで、お二人が話し合われたんでしょう。  

佐藤道夫

1996-03-14 第136回国会 衆議院 地方行政委員会 第4号

そのときは中村梅吉議長でございました。ところが、その後、野党をだました云々というような発言が問題になって議長をおやめになり、そしてその後、前尾繁三郎先生議長に就任をいたしました。前尾先生は、みずからの信念として党籍離脱を行って、いわば無所属の議長として円満な議会運営に非常な貢献をされたことは皆さんも御案内だろうと思います。

山口鶴男

1991-08-30 第121回国会 衆議院 法務委員会 第2号

それで、この議事録昭和四十九年四月二日の法務委員会の質疑において、中村梅吉国務大臣、それから当時の川島政府委員法務省です、川島一郎法務省民事局長答弁質問者からこの制度がいかに当事者の権利を侵害する害悪があるか、それをどうするんだということを詰められたのに対して、例えば川島一郎政府委員、こう言っているのですよ。  

木島日出夫

1988-04-26 第112回国会 参議院 商工委員会 第9号

そのときの大臣中村梅吉先生でございました。中村梅吉先生昭和三十六年度から始まる道路整備計画二兆一千億の有名な五カ年計画でございましたが、それを発足せしめるに当たって共同溝というものに重点を置けと、すべて共同溝に埋めるようにしなさい、そうすれば下水道にも使えるし電信電話、ガス、水道すべてに使えるということを熱っぽくおっしゃいました。ところが、結局当時の役人はそれを聞かなかったんです。

田村元

1984-08-08 第101回国会 衆議院 議院運営委員会 第41号

      長野 祐也君    松田 九郎君       伊藤 忠治君    上田 卓三君       横江 金夫君    沼川 洋一君       中井  洽君    東中 光雄君  委員外出席者         議     長 福永 健司君         副  議  長 勝間田清一君         事 務 総 長 弥富啓之助君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  元議長中村梅吉逝去

会議録情報

1984-08-08 第101回国会 衆議院 議院運営委員会 第41号

まず、元議長中村梅吉逝去につき弔詞贈呈の件についてでありますが、去る四日、元議長中村梅吉君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  弔詞につきましては、前例に従い、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞贈呈いたしたいと存じます。  この際、事務総長の朗読を求めます。     

小沢一郎

1982-12-09 第97回国会 衆議院 本会議 第5号

そして、あのときに日中関係のために田中内閣を支持しよう、田中内閣を出現させよう、そう考えまして、櫻内代議士大石武一代議士あるいは野田武夫先生中村梅吉先生等とは、かなり早い時期から首脳部の間で相談をしておったのでございます。そして、いよいよ七月の改選の時期になりまして、私たちの同志は打って一丸となって田中政権を実現させたのです。  

中曽根康弘

1981-04-28 第94回国会 衆議院 法務委員会 第9号

これは、この前四十九年のときに、中村梅吉法務大臣は、これは立法化しようということをここで言われているのですよ。立法化とはっきりは言わぬけれども、そういう意味のことを言われていますよ。企業会計原則というものを、内部的な機構としてやらないで、立法化してそういう制度をきちんとしたものにしたい、確立したいということを法務大臣はここで言っているのですよ。

稲葉誠一

1978-10-18 第85回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

鳥居委員 電気通信省から分かれる当時、中村梅吉委員が、国内通信のもうからない部分だけ残して海外通信のもうかる部分を分けて会社にしていくことに問題はないかという趣旨の指摘をしている議事録がありますが、技術革新によって音声級回線の一年の一回線当たりのコストが三十分の一以下になっている時代に値上げなんてとんでもない話であって――よく、向こうの論議で言えば、床屋さんその他がこんなに値上がりしているじゃないか

鳥居一雄

1977-04-13 第80回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第6号

私や中村梅吉先生櫻内あるいは稻葉、そういう代議士皆さんがたしかお会いしたと記憶しています。そのときに政治行動政治家が決める、だれを総裁にするかということは天下の大事であって、それは財界人がくちばしをはさむようなことではない、それは私たちに任してもらいたい、そう言って拒絶したのです。それから冷戦状態になりまして、資金の援助も断られました。

中曽根康弘

1977-04-13 第80回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第6号

それでいよいよ四十七年になって、佐藤先生がお引きになりましたときに、次の総裁選問題が出てまいりましたが、私はたしか四十七年の春のころに、中村梅吉先生櫻内稻葉大石、それから野田先生等とも相談をして、日中国交回復をやろう、やらなければいかぬ、そういう話し合いをもうすでにしておったのであります。

中曽根康弘

1977-04-13 第80回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第6号

われわれ幹部というのは、櫻内大石中村梅吉先生野田先生稻葉先生で、こういう間ではよく討議しておったわけです。  あのころは、福田さんの方はアヒルの水かきということをやっておりましたけれども、周恩来の方から手紙を拒否されたりして、福田さんではとてもむずかしい、そういう世論でありました。そして、田中さんならやれる、そういうのがまた世論でもあった。

中曽根康弘

1977-03-04 第80回国会 衆議院 予算委員会 第19号

現在の国語審議会がやっていらっしゃることについても、もう話が長くなるから、あと三分ぐらいしかないから結論だけ申しますと、漢字の問題、漢字の音訓あるいは送りがな、かな遣い、こういうようなことを全部、いまの日本共通語、いわゆる標準語、これに関しての中村梅吉文部大臣の当時の諮問によってなされているわけです。ですから、国語審議会という名前はちょっと大き過ぎるのです、さっきの大蔵大臣のお話じゃないけれども。

有島重武

1976-11-04 第78回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

     号)   六九 旧満蒙開拓青少年義勇軍関係者の処遇      改善等に関する請願外二十九件(越智      伊平紹介)(第二一二号)   七〇 同外二件(羽生田進紹介)(第二一      三号)   七一 同(櫻内義雄紹介)(第二六八号)   七二 中小商業労働者労働条件改善に関す      る請願河上民雄紹介)(第二二八      号)   七三 廃棄物の処理に関する請願中村梅吉

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1976-11-02 第78回国会 衆議院 運輸委員会 第5号

  竹中 修一君     田村  元君   渡辺 紘三君     山村新治郎君 同月十三日  辞任         補欠選任   木部 佳昭君     原 健三郎君   葉梨 信行君     福永 一臣君 同日  辞任         補欠選任   原 健三郎君     木部 佳昭君   福永 一臣君     葉梨 信行君 同月十四日  辞任         補欠選任   葉梨 信行君     中村 梅吉

会議録情報

1976-10-20 第78回国会 衆議院 逓信委員会 第4号

  考  人         (日本放送協会         理事)     反町 正喜君         参  考  人         (日本放送協会         経理局長)   堀場 仁徳君         逓信委員会調査         室長      佐々木久雄君     ————————————— 委員異動 十月十二日  辞任         補欠選任   愛野興一郎君     中村 梅吉

会議録情報

1976-10-14 第78回国会 衆議院 社会労働委員会 第2号

        消防庁予防救急         課長      持永 堯民君         参  考  人         (日本住宅公団         理事)     白川 英留君         社会労働委員会         調査室長    河村 次郎君     ――――――――――――― 委員異動 十月十二日  辞任         補欠選任   田村  元君     越智 伊平君   中村 梅吉

会議録情報

1976-10-08 第78回国会 衆議院 文教委員会 第1号

委員長 登坂重次郎君    理事 藤波 孝生君 理事 松永  光君    理事 三塚  博君 理事 木島喜兵衞君    理事 嶋崎  譲君 理事 山原健二郎君       上田 茂行君    臼井 莊一君       久野 忠治君    久保田円次君       高見 三郎君    床次 徳二君       中村 梅吉君    楢橋  進君       羽生田 進君    深谷 隆司君       

会議録情報

1976-10-07 第78回国会 衆議院 社会労働委員会 第1号

同月三十日  辞任         補欠選任   松本 善明君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   不破 哲三君     松本 善明君 十月一日  辞任         補欠選任   松本 善明君     不破 哲三君 同日  辞任         補欠選任   不破 哲三君     松本 善明君 同月六日  辞任         補欠選任   瓦   力君     中村 梅吉

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